大阪地方裁判所堺支部 昭和47年(わ)185号 判決 1973年8月16日
主文
被告人を懲役一年に処する。
ただしこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は
第一、昭和四六年一二月五日午前〇時三〇分ころ、大阪府南河内郡美原町大饗一四九の三番地附近道路において、酒に酔い、その影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、普通乗用自動車を運転し
第二、自動車運転の業務に従事するものであるが、前同日同所附近の道路を松原市方面から狭山町方面に向けて時速約六〇キロメートルで進行中、同所の交差点にさしかかったが、同交差点は交通整理が行なわれておらず、かつ見通しのきかないうえ、対面信号が黄色の点滅を表示し、交差道路の信号が赤の点滅を表示していたのであるから、かかる場合には、自動車運転者としては適宜減速したうえ交差道路からの車両の進入に注意して進行し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、交差道路に対する安全を確認しないで漫然前記速度のまま右交差点に進入した過失により折柄交差道路右方から左折するため時速約一五キロメートルで同交差点に進入して来た田原俊男(当時三六才)運転の普通貨物自動車に自車右前部を衝突させ、よって、同人に、全治約一ヶ月間を要する頸部捻挫等の傷害を負わせたほか、同車の同乗者、田原静子(当時三〇才)に全治約一〇日間を要する頸部捻挫等の傷害を、同田原清和(当時八才)に全治約一ヶ月間を要する脳震盪症等の傷害を、同田原明子(当時五才)に全治約一ヶ月間を要する頭部打撲傷等の傷害を、自車同乗者、西村功(当時三〇才)に、全治約二週間を要する頭部等打撲傷等の傷害をそれぞれ負わせ、
第三、前同日同所において、前記のような交通事故を発生させたにもかかわらず、
(一) 直ちに車両の運転を停止し、負傷者を救護する等法令の定める措置を講じず
(二) 事故発生の日時・場所等法令の定める事項を、直ちに、もよりの警察署の警察官に報告しなかった、
ものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(法令の適用)
一、第一の所為 道路交通法六五条一項、一一七条の二、一号
一、第二の所為 刑法二一一条前段、
一、第三の(一)の所為 道路交通法七二条一項前段、一一七条
一、第三の(二)の所為 同法七二条一項後段、一一九条一項一〇号
一、第二の事実につき観念的競合 刑法五四条一項前段、一〇条、最も重い田原俊男に対する罪の刑で処断
一、刑種の選択 いずれも懲役刑
一、併合罪加重 同法四五条前段、四七条本文、一〇条、最も重い業務上過失傷害の罪の刑に法定の加重
一、執行猶予 同法二五条一項一号
一、訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、本件第三の罪につき被告人は本件事故による意識障害のため心神喪失の状態にあったと主張するので、当裁判所の判断を示す。
被告人の昭和四六年一二月五日付司法警察員に対する供述調書によれば、被告人は、本件交通事故を惹起した後、自動車を降り、一〇メートル前後走ったら、誰かがそばに来て「子供がけがをしている」といったので、その人に「電話をしてくれと告げ、再び自分の自動車に乗ろうとしたが動かないので、しばらく歩いているうちにタクシーが来たので、それを止めて乗り帰宅した。歩いている途中田んぼに落ちて泥まみれになった。帰宅したとき母親と妹が起きていたので、服をぬぎ水を飲んで寝た、ということであり、また被告人の妹である置田ヤス子の同年同月六日付司法警察員に対する供述調書によれば、被告人は五日午前二時半ごろ帰宅し、見たら衣服が泥まみれになっていたので「どうしたの」と尋ねると「無茶しやがる」といっていた。それから被告人から自動車のキーと車検証を預り、「風呂場で洗いなさい」といったら被告人は風呂場で手足を洗い、自分が入れてやったコーヒーを飲んで寝室に入っていった、ということである。さらに医師作成の診断療録、証人辻三芳同榎光義の各証言ならびに被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は、本件事故当日から翌六日にかけて殆ど物をいわず、ぼんやりしている様子だったので、家人が病院に連れていって医者の診察を受けさせたところ、外傷性頸部症候群、脳震盪症のため二週間の安静加療を要すると診断され、その後一ヶ月ほど仕事を休み同年一二月一一日と同月二五日の二回通院したことが認められ、特に被告人の診療に立会った医師である前記榎証人の証言によれば本件の被告人の場合、前記傷病から逆行性健忘症を惹起した可能性があり、本件衝突直後自己の行動を律せられない状態にあったことも考えられるけれども、当時の被告人の意識の状況については明らかではなく、レントゲン検査では大きな所見はなかった、ということである。
たしかに、被告人の前記供述調書は本件事故当日に作成されたものであり、一問一答式になっているところから寡黙の被告人から捜査官がようやくにして引き出した供述であることがうかがわれるが、その後に取調べを受けた前記置田ヤス子の供述とも一部付合し、また「子供がけがをしている」ということを聞いたというあたりは、いかにも当時の記憶のままであることをうかがわせるものがあり、さらに右置田ヤス子がことさら被告人に不利な虚偽のことを述べるということは考えられないことから、仮りに被告人が本件事故により頭を打ち、ある程度の脳震盪を起したのが事実であるとしても、被告人が本来無口な性格であること(前記辻証言による)、前記榎証言は、同人が主治医として直接被告人を診察したものではなく、証言自体が全体的には抽象的で学問的知識を披露したにすぎない部分が多いこと、また、交通事故における救護義務および報告義務の履行は、ドライバーとしての初歩的基本的義務であり、特に高度な判断力とか複雑な行動を要するものではなく、現場に居合わせた人の協力を得て相対的に尽されることをもって足るのであるから、被告人の当時の意識障害の程度は、全く自己の行動を律せられず、救護義務報告義務を全く尽すことができないものであったとは認められず、さらに右義務の不履行につきその刑事責任を軽減すべきほどにも達していなかったものとみるのが相当である。したがって、弁護人の心身喪失の主張は理由がないことは勿論、心身耗弱の状態にも達していなかったものと認められる。
(第一の事実の認定理由)
本件証拠中司法警察員作成の鑑識カードによれば、被告人の検知当時の身体のアルコール保有量は呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム未満であったということであり、このことは被告人の酒酔運転を一応否定する契機となりうるところである。しかしその検知にあたった司法警察職員である前掲園村、川崎両証言によれば、〇・二五ミリグラム未満といってもそれ以上との限界線であったということであり、また検知の時刻は五日午前五時ごろであり、これは、本件各証拠によって認められるところの本件交通事故後被告人が帰宅し、約三時間ほど睡眠をとった後である本件後約四時間半を経たときであること、右検知時身体がややふらついたり、吐息に酒の臭をさせていたこと、また前掲西村、谷川両証言、被告人の各供述調書および法廷における供述等によれば被告人は四日夜七時頃から一二時ごろまで同僚二人と二ヶ所の酒場で飲酒し、その量は清酒三合ないし五合その他ビール少々であるということであり、被告人自身本件交通事故後酒酔運転が発覚するのをおそれて一刻も早く現場を立去ろうとしたこと、そして帰宅途中田んぼに落ちたこと、現に本件第二の犯行通りの交通事故をおかし、その原因が被告人の時速約六〇キロメートルという高速度の運転にあり、一般に酒酔い状態の場合高速度で運転することが多いことなど当時の客観的状況にてらせば、右検知結果にかかわらず結局被告人は本件当時酒酔い状態にあったと認めるのが相当である。
(第二の事実についての認定理由)
弁護人は、被告人には本件交通事故につき過失がないとし、その理由として、昭和四八年五月二二日最高裁判所第三小法廷判決(判例時報昭和四八年六月二一日号一一一頁)をあげ、結局本件事故は被害者田原俊男運転の自動車が赤色点滅の信号を無視して交差点に進入したことにより発生したものであるから、被告人には信頼の原則が適用されるものと主張するので、当裁判所の判断を示す。
前記最高裁判例は、本件と同じく交差点において、被告人の進行方向が黄色の点滅信号で、交差道路右側から進入して来た被害者の進行方向が赤色の点滅信号の表示であるにもかかわらず、被告人が時速約五〇キロメートルの速度で、また被害者は時速約六〇キロメートルの速度でお互徐行せず直進通過しようとして衝突事故を惹起したという事案について、被告人にも道路交通法上の徐行義務違反があるが、被害者が赤色点滅信号に従って一時停止すべきなのにこれをせずに前記のような高速度で交差点に進入したことに直接的な事故原因があることから、被告人には信頼の原則が適用され、その徐行義務違反は直接過失に結びつくものではないとして被告人を無罪としたものである。しかしこの判例は黄色の点滅信号の場合赤色の点滅信号に比し全くの優先通行権を認めたものではなく、いかに黄色の点滅信号の場合においても交差点にさしかかった際、交差道路からすでに交差点に入っている車両や、交差点の直前で一時停止し、発進して交差点に入ろうとしている車両があるときはやはり徐行または一時停止しなければならないという一般的な注意義務を解除したものではないことは判旨から明らかである。したがって右判例は、結局自己の義務違反の態様と相手方の義務違反の態様とを比較衡量し、相手方の義務違反がきわめて重い場合は、自己の義務違反は過失の要素とならないとするにとどまるものと解されるところである。
そこで、今右判例と本件との事案を対比すると、右判例では被告人の時速が約五〇キロメートルであるのに、本件では約六〇キロメートルであること、右判例では被害者は時速約六〇キロメートルで一時停止を全くしない直進車であるのに本件では時速約一五キロメートルの左折車で、しかも左側の安全確認に不完全ながら一時停止線のところで一時停止してから交差点に入ったというところに基本的な相違点がある。黄色の点滅信号の場合、一般的に徐行義務が解除されるものでないことは前叙のとおりであって、いわんや制限速度を超過して進行してもよいというのではないのであるから、本件においても、被告人の交差点における交差道路からの車両の進行に関する一般的な注意義務は被告人が多くても本件現場の制限時速四〇キロメートル(実況見分調書によって明らか)で進行して交差点にさしかかった場合を基準にして設定すべきであって、もし被告人が右制限速度を守って進行して来たならば被害者は既に交差点に進入して左折を開始しているか、少なくとも開始しようとしていてその様子は被告人においても容易に認識しうべき状態であったと考えられるのに時速約六〇キロメートルで進行して来たため交差道路に対する注意力の及ぶ範囲が狭ばめられ、被害者の発見が遅れると同時に発見後適切な措置をとることができなかったものと認められる。そうすると、被告人の右のごとき高速度の運転が単なる道路交通法上の徐行義務違反にとどまらず過失の要素になりうると解するのが相当である。
また、被害者の進行状況を見るに前叙のとおり一時停止線のところでいったん停止したが(この停止線は、本件交差点の変則的な形から交差道路南側(右側)に対しては意味があるが、その北側(左側)に対しては殆ど無意味であることは実況見分調書により明らかである)、自己の進行すべき交差道路北側(左側)の安全確認には殆ど不充分のまま、時速約一五キロメートルで発進して交差点に進入したわけであって(なお発進後再び停止したという田原静子証言は信用できない)赤色点滅信号の交差点における注意義務を完全に尽したことにならないというべきであるが、前叙のとおり一時停止線の位置にも問題があり、その義務違反の態様は前記判例の場合と比べてより軽いものというべきであり、このことと相対的に被告人の前叙のような交差点における注意義務違反の方が重く、結局本件の場合両者の信号の表示を考慮してもなお被告人に信頼の原則を適用して、その過失を否定するのは相当ではないものというべきである。
(情状)
本件は被告人の酒酔い運転による交通事故で全治二週間から一ヶ月を要する負傷者五名を出し、しかもひき逃げであってみれば、きわめて悪質かつ重大な事案であり、しかも示談が成立していないのであるから、被告人に対しては実刑をもって臨むことも充分考えられるが、本件交通事故につき、前叙のとおり被害者にも過失があること、被告人に前科前歴のないこと等諸般の情状を考慮して今回に限り執行猶予を付することとする。
(裁判官 穴沢成巳)